阿部正桓(あべまさたけ)・10代藩主 嘉永4年〜大正3年8月(1851-1914)
備後福山藩10代藩主・伯爵。初名、元次郎。字、子明。号、蕉雨。父、浅野式部懋照(三男)。広島県出身。広島藩主浅野長勲(あさのながこと)の弟。阿部家9代正方の病死により世子がなく、急きょ先代阿部正弘の6女寿子と結婚させ、慶応4年(1868)18歳のとき福山藩阿部正方の養子となる。明治元年(1868)9月から明治2年(1869)5月まで箱館に出兵し、榎本武揚軍と交戦、青森へ敗退する。明治2年(1869)再び北海道に渡り、官軍諸藩と協力し五稜郭を陥落させ東京に凱旋する。この間国元では版籍奉還を建白し、受け入れられ、明治2年(1869)福山藩知事に任命される。廃藩置県により福山藩は、福山県となり、のち、備中諸県と合併し深津県となる。深津県知事。福山教育議会会長を歴任。明治17年(1884)伯爵。明治30年(1897)貴族院議員再選。長男の阿部正直は初代気象研究所長。64歳。正室寿子(1850-1884)は、阿部正弘の6女。松平茂昭の養女。継室篤子(1867-1941)は、鍋島直紀の二女で、阿部正直の母。
墓は、谷中霊園 甲9号9側。なお、歴代藩主墓は、寛永寺谷中霊園にある。