足立寛(あだちひろし)    天保13年5月6日〜大正6年7月7日(1842-1917)

    蘭方医・陸軍軍医総監。名、藤三郎。字、士得。父、神職足立文吉。静岡出身。少年時に父を失う。掛川藩士戸塚敏庵に師事し和漢学を学ぶ。安政2年(1855)江戸で佐倉藩士木村軍太郎につき蘭学・西洋砲術を学ぶ。安政6年(1859)福沢諭吉の門下生となる。文久2年(1862)大坂で緒方洪庵に蘭学を学ぶ。文久3年(1863)江戸に戻り、医学所句読師。明治2年(1869)医学校兼病院中助教兼大寮長。明治3年(1870)Dr.ミシェルに師事しドイツ医学を学ぶ。明治7年(1874)東京医学校辞職。陸軍に入り明治8年(1875)陸軍2等軍医正。以後累進し明治24年(1891)6月陸軍軍医学校長となる。明治28年(1895)陸軍軍医総監。退官後は日本赤十字社の事業に尽力。著書:「敏氏薬論」、「外科各論」、「防腐的治療法」、「彪氏外科通論」、「軍陣外科学」、「検尿要訣」。

墓は、天王寺墓地。朝倉文夫墓の裏隣り。「陸軍軍医正五位勲二等足立寛之墓」。「楽山院殿寿静覚得大居士」。