安達顕(あだちけん/あだちあきら)    天保9年2月〜大正3年9月24日(1838-1914)

    刑法草案審査局メンバー。従五位。幼名、鎌次郎のち文一郎。父、名古屋藩士族安達成善(和平)(長男)。尊皇攘夷の志をもって脱藩し、尾張藩家老・田宮如雲(たみやじょうん)に仕え京警護に赴き、公卿、諸藩名士間を周旋。明治維新後は、広島県出仕、のち大蔵省を歴任。明治11年3月8日〜明治13年2月17日元老院(立法をする所)御用掛となり伊藤博文を長とした刑法草案審査局メンバーとなる。実業界に転じ、東京博全会社社長・釧路炭鉱取締役。明治35年(1902)9月維新の功により従五位に叙す。77歳。

墓は、甲3号6側。正面「従五位安達顕墓」。「威徳院釈顕耀居士」。