秋山光條(あきやまてるえ) 天保14年1月10日〜明治35年2月19日(1843-1902)
国学者・神職。父、秋山和光。師友に矢野玄道・師岡師胤・権太直助・角田忠行・本居豊頴・井上頼圀・久保季茲・高柳高鞆・落合直亮らの国学者がいる。明治2年(1869)宣教師設置に伴い、宣教師使官員となる。明治3年(1870)大村元龍・藤岡好古らと宣教少講義生。退職後、「日要新聞」を発行。また、寒川神社の神宮となる。ついで出雲大社少宮司・三島神社宮司・八坂神社宮司を歴任。明治35年(1902)官幣大社氷川神社宮司赴任を前に没する。60歳。著書:「雪の屋集」、「祝詞要義」、「国郡読例」。
墓は、谷中霊園 乙7号4側。垣根の中。正面「従五位秋山光條之墓」。隣りの墓碑は、妻安子墓。