天津乙女(あまつおとめ)    明治38年10月9日〜昭和55年5月30日(1912-1980)

    宝塚理事。宝塚歌劇女優。本名、鳥居栄子。東京神田出身。大正7年(1918)宝塚音楽歌劇学校に入学。12歳で宝塚少女歌劇団に入る。宝塚は兵庫県であるため最初の東京出身者であった。芸名は、宝塚歌劇団の創始者小林一三の発案で、当時のならわしによおり、百人一首”天津風雲の通い路吹き閉じよ、乙女の姿しばしとどめん”に旧来する。芸名のイメージも良く、演技もこれに応え、永い間宝塚歌劇の象徴的地位にいて功績を残した。得意芸は日本舞踊で藤間流名取藤間乙女でもあった。昭和23年(1948)宝塚理事となる。また、同年紫綬褒章を受章。昭和54年(1979)勲四等宝冠章受章。「天津乙女」はバラの名前にもなっている。著書:自叙伝「清く正しく美しく」

墓は、谷中霊園甲1号1側。桜通りから3基目、北側。墓誌に「鳥居栄子」とある。