安藤浩斎(あんどうこうさい)/安藤正道(あんどうまさみち)    文政10年7月〜明治9年7月8日(1827-1876)

    幕末の医師。名、正道。幼名、正義。字、伯道。通称、玄昌。号、浩斎。栃木出身。父、安藤伯道。19歳のとき江戸に出て大槻俊斎につき医学を学ぶ。伊東玄朴の医書を研究。宇都宮藩医となる。慶応4年(1868)大学種痘館医員。明治2年(1869)大学教授。明治5年(1872)猿渡盛雅・高階経由・高階経支・渡辺春貞らと権少侍医となる。明治7年(1874)6等侍医に昇格。宮内省出仕。正七位勲六等。49歳。養子に安藤正胤(あんどうまさたね:1847-1926)がいる。

墓は、谷中霊園 乙6号2側。垣根の中。安藤正胤・安藤正一墓も同域にある。