安藤庄太郎(あんどうしょうたろう)     安政4年10月〜明治44年3月23日(1857-1911)

    土木請負業「安藤組」創業者。父、惣六(長男)。母、佐藤氏。岐阜県稲葉郡長良村出身。家業は農業であったが、少年に時期に東京神田で瓦業をしていた叔父を頼って上京。叔父の元で働くが、煉瓦建築の時代が到来すると見越して、明治6年(1873)16歳で独立し神田松枝町に煉瓦建築業「安藤方」を創業。明治44年(1911)1月合名会社安藤組に改組。直後に没する。没後の大正7年(1918)株式会社に改組。55歳。2代目社長は、安藤徳之助(?-1959)。

墓は、瑞輪寺墓地(谷中4-2-5)。山門横辺りに位置し、焼却場前で、当墓地で最も高い。正面「安藤家之墓」。「霊峰院安住快楽日庄居士」。鐘楼手前に「安藤庄太郎君之碑」がある。安藤徳之助も合祀。「鷹山院聴法歓喜日徳居士」。