青山二郎(あおやまじろう) 明治34年6月〜昭和54年3月27日(1901-1979)
古陶磁器研究家・装丁家。東京府出身。生家は、藤原北家花山院流青山家。旧制麻布中学時代から日本のみならず中国や朝鮮の焼き物に詳しくなった。柳宗悦や浜田庄司らの民芸運動に参加。柳の甥の石丸重治と雑誌「山繭」を出版。北大路魯山人・中原中也・河上徹太郎・三好達治・中村光夫・宇野千代・大岡昇平・白洲正子・小林秀雄・永井龍男といった文人たちが青山二郎の家に集い「青山学校」と呼ばれた。生涯定職に就くことはなく高等遊民と呼ばれたが、装丁家として沢山の優れた作品を創出した。クーデンホーフ光子(旧姓青山)は親戚。著書:「眼の哲学・利休伝ノート」、「青山二郎全文集〈上・下〉」、「鎌倉文士骨董奇譚」、「骨董鑑定眼」、「眼の引越」、「日本コンツェルン全書 (第1巻) 高橋亀吉共著」、「日本財閥論 (1938年) 高橋亀吉共著」。
墓は、玉林寺墓地(谷中1-7-15)。墓地入り口の階段上正面方向のほぼ中央。墓碑は階段方向を向く。正面「青山家之墓」。