青山秀三郎(あおやまひでさぶろう/しゅうさぶろう) 明治27年〜昭和44年8月4日(1894-1969)
鉱山学者・東京大学名誉教授・工学博士。東京出身。大正7年(1918)東京帝国大学工科大学採鉱冶金科講師。大正8年(1919)助教授。昭和2年(1927)金属採鉱学研究のため独・仏・米に2年間留学。昭和5年(1930)東京大学教授となり、同年学位を受ける。その間、実戦的論理的に近代採鉱技術の先駆者として活躍。昭和27年(1952)工学部長。昭和29年(1954)退官、名誉教授となる。学外では、学術研究会議員・文部省視学委員・科学技術審議会委員・資源庁炭田探査審議会委員・地熱開発技術審議委員・地下資源開発審議会委員・文部省大学学術局大学設置審議委員・国連アジア極東経済委員会鉱物資源開発地域会議日本政府代表・防衛庁技術研究所長を歴任。正三位勲二等。75歳。
墓は、寛永寺谷中墓地。徳川慶喜墓横の舗装通路沿い。一ツ橋徳川家墓域近く。柳壮一墓裏。正面「青山家之墓」。「真受院法瑞日秀居士」。