嵐芳三郎(あらしよしさぶろう)・4代    明治5年〜大正元年(1872-1912)

    歌舞伎俳優。本名、寺田市太郎。父、八木重兵衛。2代目芳三郎の孫。大阪出身。屋号、豊島屋(てしまや)。明治12年(1879)3代目嵐芳三郎(のちの市川権十郎)に入門嵐市太郎を名乗る。26歳で4代目芳三郎を襲名。明治37年(1904)嵐徳三郎と東京に進出、新富座で活躍。明治40年(1907)宮戸座付となる。「持教橘芳居士」。

嵐芳三郎(あらしよしさぶろう)・5代    明治40年4月17日〜昭和52年11月14日(1907-1977)

    歌舞伎役者。本名、寺田勝次。父、4代目嵐芳三郎。号、豊島屋(てしまや)、女形。東京出身。本郷元町尋常小学校卒業。劇団前進座に所属。大正2年(1913)東京本郷座で初舞台。昭和2年(1927)5代目嵐芳三郎を襲名。その後、5代目尾上菊五郎一門に身を寄せ若女方を修行。昭和9年(1934)前進座に所属。当たり役は「勧進帳」義経。昭和29年(1954)「寺子屋」で芸術祭賞受賞。子は、長男に嵐芳三郎・6代、二男に俳優の嵐圭史、長女に女優の寺田路恵、三男に声優の麦人、次女にシャンソン歌手の広瀬節子がいる。「前勝院技能日芳居士」。

嵐芳三郎(あらしよしさぶろう)・6代    昭和10年?〜平成8年8月22日(1935?-1996)

    歌舞伎役者。本名、寺田敏晃。父、5代嵐芳三郎(長男)。豊島屋(てしまや)、女形。前進座所属。61歳。夫人、5代目河原崎国太郎(山崎屋)の娘で女優の松山梨絵。子は、長男に6代・河原崎國太郎(5代・嵐市太郎)。二男に歌舞伎俳優の嵐広也(あらしひろなり)がいる。「修芳院伎照日晃居士」。

墓は、一乗寺墓地。墓地入口すぐ先、左側。4代「嵐芳三郎之墓」、5代・6代「寺田家之墓」