有馬直純(ありまなおずみ)    天正14年〜寛永18年4月25日(1586-1641)・・・28日説あり

    江戸前期のキリシタン大名。父、有馬晴信(長男)。洗礼名、ミゲル。肥前国日野江(長崎県南島原市)出身。15歳で駿府城にて徳川家康の側近となる。正室は小西行長の姪・マルタだが、慶長15年(1610)徳川家康に謁し、マルタを離縁し本多忠政の娘・国姫(徳川家康の外曾孫で養女)を継室とした。父晴信が岡本大八事件で、改易され死罪となったのに伴い跡を受け継いで肥前日野江(島原)の藩主となり、キリシタンの迫害を行ったが、これを嫌い転封を願い出て慶長19年(1614)日向延岡藩藩主となるが、その直前に幕府の禁教令が発布され、棄教し藩内のキリシタンを取り締まった。寛永14年(1637)には旧領での天草島原の乱が起こり、追討軍に加わった。

供養塔(宝篋印塔)は、本覚院境内(上野公園16-22)。参道右側。墓は、福井県坂井市の白道寺にある。法名は墓碑「月光院殿金吾身誉崇出大居士」、供養塔「松園院殿光山宗和居士」。これは、存在する場所の宗派によるものらしい。享年56歳。