有坂成章(ありさかなりあき)    嘉永5年2月18日〜大正4年1月12日(1852-1915)

    旧陸軍7.5cm速射砲を発明・男爵。日本の天才的な銃器開発者。父、岩国藩士木部左門(二男)。同藩士有坂長良の養子。岩国出身。慶応元年(1865)藩の銃堡局に出仕。明治6年(1873)陸軍兵学校寮に入る。明治15年(1882)陸軍砲兵大尉となり、陸軍幼年学校教授。研究のためヨーロッパに赴き、のち、砲兵工廠において、大砲の改良と銃砲の製造にあたった。明治25年(1892)陸軍が速射砲採用を決めたのを受け、速射砲研究をおこなった。三〇年式歩兵銃を開発、有坂砲(31年式速射砲)の発明、国内生産では間に合わず、ドイツ・フランス両国に発注し、明治36年(1903)までに諸隊に支給。日露戦争に使われ勝利をもたらしたと言われている。「三十」とは明治30年(1897)の意味。発明者である東京砲兵工廠の有坂成章大佐(後に中将)に因んで有坂式小銃と呼ばれた。明治36年(1903)陸軍技術審査部長となる。明治39年(1906)陸軍中将。従三位勲一等瑞宝章功二級金鵄勲章。64歳。

※ 31年式速射砲の発明にあっては、ドイツのクルップ社で研究を重ね、帰国後3年間、寝食を忘れ、客にも会わず、家族も部屋に入れなかったという。模型ができるまでの7カ月は、入浴もせず髭も剃らずにいたため、二寸余りの髭になっていたといわれている。

墓は、谷中霊園乙13号3側。西向き。正面「陸軍中将従三位勲一等功二級男爵有坂成章之墓」。