浅井梅次郎(あさいうめじろう)    ?〜明治14年2月27日(?-1881)

    園芸家・菊人形師。団子坂菊人形の祖。団子坂(文京区千駄木3丁目)は、寛永寺法主輪王子宮とも懇意であった園芸家初代森田六三郎の家業の場があったところで、明治9年(1876)頃、近隣の浅井梅次郎は森田六三郎(三代目)を自宅に同居させていたことがある。菊人形展は文化年間(1804-1881)に巣鴨の染井で始まり、何回かのブームがあり、安政3年(1856)からは菊人形展の中心は団子坂に移った。維新期に一時下火になったが明治20年ころから再び盛んになったが、両国国技館ができ電気仕掛けや活動写真を併用するなど派手な菊人形が流行り、団子坂の菊人形展は明治44年(1911)で終了した。

墓は、谷中霊園 甲9号1側。