吾妻健三郎(あずまけんざぶろう)    安政3年〜大正元年10月26日(1856-1912)

    石版画家。秋田県米沢出身。父、米沢藩藩医吾妻寿庵(三男)。親戚縁者から贈られた3両2分の餞別を持って上京し独学独立を目指したが、海軍兵学寮の試験に失敗。明治7年(1874)3月に開成学校構内の製練工作コースである「製作学教場」に入り、銅版印刷技術を修得。明治8年(1875)東京駿河台袋町1番地に美術印刷の「東陽堂」を主宰し石版印刷の新技法を開発。内務省地理局で東北地図の出版を企画するも版作成に3年を要するとして出版できないでいるところ、吾妻は半年で作成した。以来、地理局の信頼を得て各種印刷を託された。「東洋絵画叢誌」を引き継いで明治20年(1887)に「絵画叢誌」を発行し、明治22年(1889)雑誌「風俗画報」を出版、出版界の先駆者となった。著書:岳忠武公手書秦議(編纂)明治15年(1882)刊。「伊香保温泉略説」明治18年(1885)刊。地図も扱った。

墓は、谷中霊園乙3号18側。正面「吾妻健三郎墓」。