東家楽遊(あずまやゆうらく)・3代    明治27年〜昭和39年10月16日(1894-1964)

    浪曲師。本名、村上一雄。前名、東家小楽。職人だったが、浪花節が好きになり、明治45年(1912)6月19歳の年に徒弟をやめて、2代東家楽遊の門下になった。大正2年(1913)東家楽松と名乗って、牛込の神楽坂高等演芸場で初舞台を踏んだ。のち研鑚を重ねて東家左楽遊となり、2代目楽遊が東家悟楽斎と称した昭和7年(1932)に、浅草金竜館において、3代目東家楽遊を襲名した。師匠ゆずりの、「小松嵐」、「塩原多助」、「海賊房次郎」などの他、「隅田川乗切り」、「保名狂乱」、「小猿七之助」、「旗本五人男」等を得意にしていた。節調は2代目を伝承して美音家だったが、人気も芸も師匠には及ばず、声調の衰えと共に自然人気も去った。
※ 故人歴情報の提供は、森光俊様。

墓は、一乗寺墓地(谷中1-6-1)。墓地へ入り真っ直ぐに行き、突き当りに並ぶ墓碑群右隅の裏側の端。正面「先祖代々之墓」。台石「村上」。「円楽院法遊日雄居士」。ただし、墓誌に記載なし。