比丘妙運(びくみょううん)     文政10年1月1日〜明治44年(1827-1911)

    浄名院第38世住職。名、幸啓。字、妙運。号、無庵。大阪出身。天台宗学匠慧澄を戒師として得度、その指導を受ける。25歳のとき日光山常観院にて地蔵尊信仰に触れ、1千体石地蔵建立の発願を立てる。地蔵比丘といわれる。明治9年(1876)浄名院第38世となる。明治12年(1879)1千体の願いが満ちると、インド中天竺阿育大王の8万4千体の法塔建立の故事に習い、石地蔵8万4千体建立の大誓願に進み、上は佛祖の供恩に酬い、下澆末の衆生を救わんとして発願する。これに呼応し、北白川宮能久親王殿下・徳川家・小松宮家・一条家・近衛家・毛利等各家の奉納があり、さらに各界の人の奉納が続いた。明治18年(1885)地蔵山総本尊を建立。85歳。

※ 比丘(びく):修行僧のこと。

墓は、浄名院墓地(上野桜木2-6-4)。総本尊堂の向かって右横の列。建立年が昭和3年であり、本当の墓碑かどうか不明。正面「中央に地蔵図 右に発願主 上野浄名院比丘妙運/八万四千体之内第六千五百九十番」。