千葉敦子(ちばあつこ)     昭和15年〜昭和62年7月9日(1940-1987)

    女性ジャーナリストの先駆者。上海で生まれる。昭和39年(1964)学習院大学政経学部卒業。昭和40年(1965)東京新聞記者から、昭和42年(1967)ニューマン・フェローシップを得て、ハーバード大学大学院へ留学。昭和43年(1968)東京新聞退社。昭和49年(1974)海外誌の東京特派員。昭和55年(1980)乳がんに罹り、手術後、昭和58年(1983)かねてから計画していたニューヨークに在住し、日本の新聞・雑誌に寄稿。昭和61年(1986)ニューズレター「WOMAN WATCH」発行。国際派の女性ジャーナリストの先駆者の一人。死の直前まで朝日ジャーナルに「死への準備日記」を連載。著書:「乳ガンなんかに負けられない」、「ニュー・ウーマン」など。訳:「敵視の狭間で」。46歳。

墓は、寛永寺谷中墓地。田安家墓域と旧長昌院墓域の間の墓地。田安家側沿い通路奥左側。正面「千葉家」。「誠筆敦厚信女」。