蝶花楼馬楽(ちょうかろうばらく)・3代    元治元年4月15日〜大正3年1月16日(1864-1914)

    落語家。本名、本間弥太郎。東京芝出身。若いころから女道楽と博打三昧で、博徒新場の子安一家の世話になる。物まねがうまく3代目春風亭柳枝にスカウトされ明治19年(1886)ころ噺家となる。わずか1年たらずで二つ目に昇進するも、たびたび警察ざたとなり破門となる。明治31年(1898)3代目柳家小さん一門に入り、明治32年(1899)3代目蝶花楼馬楽を襲名。遊びぐせは続いたが才能があり明治38年(1905)真打に昇進。吉井勇や久保田万太郎など多くの文化人に愛された。晩年は、脳を患い「気違い馬楽」とも呼ばれた。得意の演題は「長屋の花見」、「蒟蒻問答」など。51歳。

墓は、淨名院墓地(上野桜木2-6-4)。水かけ地蔵の並び。4基目。墓石の上に座地蔵が乗っている。正面「釈浄証信士」。台石「蝶花楼馬楽」(線香台で隠れている)。師匠の3代目小さんの建立。