大道長安(だいどうちょうあん/おおみちちょうあん) 天保14年4月1日〜明治41年6月15日(1843-1908)
新仏教「救世教」開祖。通称、忍弥。新潟県新発田出身。6歳で長岡長興寺に入り、「今釈迦様」と呼ばれる。安政元年(1854)兄弟子の柏庭大樹に師事し、養子となる。のち、江戸に出て駒込吉祥寺の丹檀寮に学ぶ。明治元年(1868)美作清涼寺の大樹に参じ印可を受ける。清国に転任後、明治6年(1873)岡山県津山大道山長安寺住職。初め機外禅透と号したが、これより大道長安と名乗った。一時、越後の長興寺に戻り、明治9年(1876)新潟県曹洞宗教導職取締。明治11年(1878)「救世会」を設立。再び東京に出て、明治16年(1883)大講義。明治19年(1886)救世教開立五箇条を定め、また同教真実義を発表、長野で「救世教会」開立を宣言、僧籍を離脱。その後は布教に努め、長野・長岡・若松・函館など10か所に教会を設立。明治22年(1889)機関誌「救世之光」を発行。明治28年(1895)東京麹町に本部会館を設立。66歳。著書:「長安仁者全集」。
墓は、寛永寺谷中墓地。乙13号2側向かい。旧長昌院墓地裏手。円筒形の墓碑。墓域は荒れている。正面「救世教祖大道長安仁者墓」。長安の墓は新潟県小千谷市船岡山にもあるらしい。