大工原銀太郎(たいくばらぎんたろう)    慶応4年1月4日〜昭和9年3月9日(1868-1934)

    明治期の土壌学農学者・農学博士。鈴木兼太郎の弟。のち大工原孝吉の養子となり家を継ぐ。信濃飯田出身。帝国大学農芸科卒業。明治28年(1895)農商務省農事試験場技師。東京帝国大学講師、特許局技師を経て大正10年(1921)九州帝国大学教授。大正12年(1923)5月朝鮮総督府勧業模範農場技師に転任し、九大教授は兼官となり、大正15年(1926)九州帝国大学第3代総長を務めた。昭和4年(1929)同志社大学総長。鉱質酸性土壌の研究の権威で土壌酸性の本体がアルミニウムによることを世界に先駆けて発表。従五位勲六等。67歳。著書:「土壌学講義」。

墓は、谷中霊園 甲6号19側。