伊達宗曜(だてむねてる)    明治10年〜大正11年7月16日(1880-1922)

    貴族院議員・男爵。父、宇和島藩9代藩主伊達宗徳(9男)。幼名、鉤一郎。明治25年(1892)兄の伊達宗倫の養子となり、宗曜と改名。正四位。学習院を中退。のち、築地文海学校に入学するが中退。家庭教師につき勉強する。大正9年(1920)貴族院議員。夫人は、伊達宗孝の娘富貴子。嗣子は、亀太郎。43歳。

墓は、谷中霊園 乙8号11側。ひょうたん通り側から入り、坂を降りた左側通路の正面の鳥居の奥に宗倫墓。その左に宗曜墓。正面「正四位男爵伊達宗曜墓」。