都々逸坊扇歌(どどいつぼうせんか)・7代    明治23年3月28日〜昭和60年6月8日(1890-1985)

    寄席芸人。本名、天野春吉。前名、3代目富士松ぎん蝶。東京港区宮下町で生まれる。7歳で失明し、小石川亡大学音楽部で三味線・琴・胡弓・太鼓・端唄・長唄・新内などを習う。明治末に3代目富士松ぎん蝶を継ぐ。昭和27年(1952)石岡市で都々逸の家元7代目となる。杯で三味線を弾いたり、三味線を背中や頭上で弾いたり、バチで胡弓の音を出す曲弾きやアドリブ都々一を得意とした。95歳。

墓は、善性寺墓地(東日暮里5-41-14)。正面「天野家之墓」。「法音院扇歌日春居士」。芸歴と墓誌を記した碑があり、「三味線や琴の音じめや白状は出来ぬ そこに胡弓があるだろう」とある。