海老沢兌一(えびさわだいいち?)     明治10年3月〜昭和10年9月26日(1877-1935)

    鉄道技師。父、海老沢兼(二男)。姫路出身。若くして鉄道技術を学び、明治39年(1906)官途に就き累進して鉄道技師高等官三等に至る。在官24年、その間シベリア事件(※)の際、鉄道管理官として現地に派遣され活躍する。昭和5年(1930)11月退官。以後自適に過ごす。正五位勲五等。59歳。

※ シベリア事件: ロシア革命に対する干渉戦争の一つ。大正7年(1918)8月革命軍に囚われたチェコ軍を救出するという大義名分で連合国の一員としてシベリアに出兵。以後4年3ヵ月戦い4600人の戦死者を出し撤退した。実際はザバイカル州以東に白色かいらい政権を樹立する目的だった。

墓は、天王寺墓地(飛び地)。甲4号4側の奥。正面「海老澤家之墓」。