慧光院(えこういん)    ?〜享保5年9月14日(?-1720)

    福山松平家第2代松平正祐の三男松平正縁(まつだいらまさより)の室。名、道。伊予松山藩第4代藩主松平定直(まつだいらさだなお:1660-1720)の養女。「慧光院殿妙建日源大姉」。松平定直は、「元禄赤穂事件」後に赤穂浪士10名を預かった人として知られる。

墓は、瑞輪寺墓地(谷中4-2-5)。鐘楼横から入り、突き当りを左に行き、左側の駐車場の塀の角辺りで右に入り、突き当りを左に約30m。松久院の先。