遠藤波津子(えんどうはつこ)・初代    文久2年5月8日〜昭和8年6月2日(1862-1933)

    近代美容の先駆者。本名、ハツ。旧姓、富岡。神奈川出身。明治10年(1877)遠縁の旅館を手伝うために上京。明治21年(1888)旅館・ビリヤード場を経営する遠藤芳之助と結婚。明治35年(1902)芳之助が海外視察に出掛け、西洋の美容についてハツに話し、美容に目覚める。米人フリッ女子に師事し、米国流美容術を習得し我が国で初めて「美顔術」を広め、評判を得て明治43年(1910)に「美顔術」は流行語にまでなった。明治38年(1905)銀座7丁目に「遠藤理容館」を創業、"波津子"と名乗る。文化人や富裕階層の客を集め繁盛する。明治43年(1910)ライラック化粧品を製造販売する。さらに着付、特に婚礼の着付と結髪を行う部門も併設、総合美容の先駆者として活躍し、花嫁姿の基本を作り、女性の社会的地位の向上に努めた。東京婦人美容協会初代会長。家政学院講師・戸坂女学校講師・東京会館理容部経営。昭和8年(1933)交通事故に遇い死去。72歳。著書:「化粧と着付」。

遠藤波津子(えんどうはつこ)・2代     明治29年?〜昭和9年3月7日(1896?-1934)

    美容家。本名、千代。東京出身。初代を継ぐが、初代に相次いで亡くなる。

※ 3代: 明治19年3月15日〜昭和54年4月16日(1886-1979)。本名、三浦きょう。大正の初め初代に師事。昭和11年(1936)3代目を襲名。天皇陛下御成婚時に美智子様や島津貴子様の美容を担当した。93歳。

※ 4代: 大正3年6月8日生。本名、遠藤定。山脇高等女学校卒業。3代目遠藤波津子の二女。昭和10年(1935)2代目遠藤波津子の長男遠藤智三と結婚、美容界に入る。昭和34年(1959)4代目を襲名。以来、美智子様の美容を担当。

墓は、寛永寺谷中墓地。乙11号8側奥く。3代目(1885-1979)は墓誌にない。