円珠院(えんじゅいん)    創建:承応元年(1652)

場所:台東区上野桜木1-5-3
アクセス:鶯谷駅北口から言問い通りを西へ約1km。浄妙院前を寛永寺方面に左折し寛永寺前を右折約200m。または、千代田線根津駅から言問い通りの善光寺坂を上り、谷中6丁目(一乗寺のある)交差点を右折し、護国院前を左折約150m。

天台宗。東叡山寛永寺の子院。 開基檀家は長州(萩) 藩第2代藩主毛利綱廣。寛永寺が徳川家によって創建されると、 有力大名は競って上野山内に、 将軍家の法要参列のための装束着替所としての寺院を建立。 これらの寺院は子院(宿坊)と呼ばれ、その数は三十六坊にもなったが、円珠院もそのひとつ。 当時は、現在の寛永寺第二霊園の辺りにあり、敷地は約3000坪だった。延宝8年(1680) 四代将軍徳川家綱公の厳有院廟を造営するために現在地に移転した。元禄10年((1697) に火災で全焼したが、 直ちに長州藩第4代藩主毛利吉廣によって復興した。その後戊辰戦争の結果、 寛永寺境内が上地され、円珠院境内地も縮小され、 現在は350坪ほどとなった。 しかし山門である総欅造の薬医門はそのまま現在も残されている(旧番地では上野桜木町23番地)。なお、慶安4年(1651)大猷院 (たいゆういん:徳川家光:1604-1651)に石灯篭2基を奉献した、宝永6年(1709)常憲院(じょうけんいん:徳川綱吉:1646-1709)にも2基を奉献したと記述のある灯篭が境内にある。寛永寺の子院の多くが転々と移転しているが、円珠院は1回だけで、江戸時代から変わっていない数少ない寺ある。多少境内地は減少しているが、門の位置は変わっていない。

【薬医門】2本の本柱の背後だけに控え柱を立てた切妻屋根の門。