萬屋松五郎(よろずやまつごろう)/江澤松五郎(えざわまつごろう)    慶応3年〜明治29年12月29日(1867-1896)

    明治期の粋人。本名、江澤松五郎。屋号、萬屋。神田連雀町の果物問屋。号、梅逸・不心庵・六々亭金鱗。文芸声曲を好み、茶道は石州を、活花は古流を、俳諧発句は不審庵団窓の号を授かり、晋派の判者を許され、声曲は清楽・河東節・一中節をこなし、狂言は鷲流の諸書を譲られ、文事は梅亭金鷲に六々亭金鱗の号を許される。狂歌は桃の屋鶴彦に師事し阿の屋と号した。俳優成田屋を贔屓とし三升連の幹事となる。多芸の粋人として世に知られた。明治の香以山人と自認し、阿の屋の号を継いだ。29歳。
※ ご住職によると、たとえば「万惣」など神田に「万◇」という屋号がいくつかあり、「万世橋」の「万」であり、「まんや」と読むのが正しいらしい。観智院には、「万◇」という屋号のついた墓碑が複数あり、親類関係にある檀家だそうだ。

墓は、観智院墓地(谷中5-2-5)。墓地に入り、すぐ右に行き、突き当りを左に行き、突き当り手前右側2基目。台石「萬屋」。正面「先祖累代之墓」。墓誌はないが、ご住職にご案内頂いたもの。「菜園梅逸居士」。