藤岡市助(ふじおかいちすけ)    安政4年〜大正7年3月5日(1857-1918)

    日本のエジソン・実業家・電気工学者。山口県岩国市出身。父、岩国藩士喜介。慶応元年(1865)岩国藩校養老館に入学。明治8年(1875)17歳で工部大学校の一期生として入学。明治15年(1882)銀座に2000燭光のアーク灯を点けた。明治19年(1886)東京電灯(東京電力の前身)を開業し、初代の技師長(副社長)となる。明治22年(1889)日本初の白熱電球を製造。明治23年(1890)三吉正一と共に白熱電球製造会社「白熱舎」(東芝の源流)を設立。明治36年(1903)東京の有楽町〜神田橋間に日本で初めて電車鉄道を開通させる。明治40年(1907)岩国電気軌道(株)社長となり、明治42年(1909)錦見〜岩国駅間に電車鉄道を開通させる。米国照明学会会員となり世界的に活躍した。

墓は、寛永寺谷中墓地。戸田忠至墓(乙13号1側)向かいの通路を入り約20m右側、木の下。正面「工学博士藤岡市助之墓」。「光明院殿赫誉創電市翁大居士」。