藤沢次謙(ふじさわつぐよし) 天保6年4月11日〜明治14年5月2日(1835-1881)
幕末の幕臣、歩兵奉行、陸軍奉行、陸軍副総裁、維新後官吏。画家。通称、長太郎、主税。号、南梅。江戸出身。父、奥医師の桂川甫賢(三男)。19歳で江川担庵の縄式館に入門。文久2年(1862)2000石旗本藤沢九太夫の養子となる。元治元年(1864)6月水戸徳川家天狗党鎮圧に赴くが失敗。慶応2年(1866)軍艦奉行。慶応4年(1868)1月陸軍副総裁(総裁は勝海舟)となり、事実上幕府陸軍を指揮した。明治4年(1871)政府兵学校が兵部省に移され薩長閥の下につくのを嫌い退官。晩年は東京にて武術、蘭学、兵学、書、絵画などに興じて過ごした。47歳。
墓は、谷中霊園甲13号2側。正面「藤沢家之墓」。