藤島茂登子(ふじしまもとこ) ?〜明治15年3月13日(?-1882)
藤島正建の母。父、惣庄屋矢島直明(忠左衛門)。母、鶴子。旧姓、矢島氏。熊本県出身。熊本藩士藤島昌和夫人。長男、藤島正健。3男、海軍機関士で雲楊艦で出航し暴風に遭い紀州沖で遭難死した藤島虎彦(安政元年〜明治9年8月31日)。兄弟姉妹(茂登子は長姉)、横井小楠夫人横井せつ子・徳富一敬夫人徳富久子・竹崎順子・矢島楫子。
※ 横井小楠(よこいしょうなん:文化6年8月13日〜明治2年1月5日): 本姓、平時存(たいらのときあり)。熊本藩士。儒学者。松平春嶽の政治顧問。同志社第3代総長。長男、政治家横井時雄。妻、せつ子は、矢島家5女。
※ 徳富一敬(とくとみかずたか:文政5年〜大正3年): 漢学者。教育者。熊本出身。藩校「時習館」に学び、横井小楠の門に入る。廃藩後、熊本県典事。子は、評論家徳富蘇峰・小説家徳富蘆花・基督教指導者湯浅治郎夫人湯浅初子。姪に基督教指導者海老名弾正夫人海老名美屋。
※ 矢島楫子(やじまかじこ:天保4年4月24日〜大正14年6月16日): 明治大正期の女子教育家。熊本出身。竹崎順子の妹。桜井女学校校長。女子学院長。女子教育・婦人運動に参加。
※ 竹崎順子(たけざきじゅんこ:文政8年10月25日〜明治38年3月7日): 明治期の女子教育家。熊本出身。矢島家3女。横井小楠の弟子竹崎律次郎(竹崎茶堂)の妻。熊本フェイス学院高等学校を創立。
墓は、谷中霊園 甲8号5側。ひょうたん横丁に面する。藤島正建墓に並ぶ。正面「故藤島昌和室矢島氏茂登子之墓」。藤島虎彦の墓誌(土肥道康書)あり。