府川一則(ふかわかずのり)・2代/府川慶三郎    安政2年8月11日〜大正8年1月23日(1855-1919)

    画家・彫金家・七宝家。父、初代府川一則/重次郎(長男)。江戸深川出身。号、則重・一則。別号、徽献軒・巨外史・文山等。父に彫金術・絵画・七宝術等を学び、柳田正斎に書を学んだ。明治9年(1876)父、死去に伴い2代目を襲名。片切彫や花鳥虫類の高彫も得意とした。明治31年(1898)日本美術院正教員。内国博覧会や万博にて多くの賞を受賞。祖父に五返舎半九がいる。3代は初代の子。

墓は、谷中霊園。「實相院諦譽正道一則居士」。府川家菩提寺雲晴院には遺髪を葬り、遺骸は谷中に葬った。