福田重固(ふくだしげかた) 天保4年〜明治43年11月2日(1833-1910)
工部大書記官・逓信大書記官。静岡県出身。幕臣。安政年間に函館奉行に属し、武田斐三郎らと函館台場や亀田五稜郭を築造。文久元年(1861)勘定格徒目付として京極能登守に随行し、福田諭吉らと渡欧。神奈川奉行支配組頭。元治元年(1864)新設の鉄砲奉行となり、滝野川に反射炉を建築。慶応2年(1866)歩兵頭兼勘定頭取となり、陸軍会計部署を統監。明治元年(1868)徳川家達駿遠領地受取役。大蔵省出納権大佑。明治3年(1870)民部省庶務権正。明治4年(1871)電信創始にあたり渡欧の知識を買われ電信助、明治2年(1869)9月19日に開始した東京〜横浜間の電信線敷設工事の実際的な作業を遂行。明治10年(1877)工部省書記官、電信局次長。工部権大書記官。工部大書記官兼参事院員外議官補。逓信大書記官。明治20年(1887)内務省地理局次長。明治21年(1888)衛生局次長。正五位勲四等瑞宝章。
※ 旧暦9月19日を新歴に直した10月23日は、電信電話記念日となっている。
墓は、谷中霊園 甲2号3側。正面「正五位勲四等福田重固之墓/福田重固室嘉年子之墓」。「光勝院殿泰運重固居士」。福田重固以後の福田家の略歴が記された石板が平成17年(2005)ころに建てられている。