福原芳山(ふくはらほうざん)/鈴尾五郎/福原五郎/鈴尾親徳    弘化4年〜明治15年8月17日(1847-1882)

    萩藩永代家老・宇部領主・大審院民事課6等判事。山口県萩出身。名、良通・親徳。通称、駒之進・鈴尾五郎。号、芳山。父、粟屋若狭親陸(次男)。元治元年(1864)国司主税18代福原越後墹(もとたけ)親通の養子となり、慶応元年(1865)家督を継ぐ。直ちに奇兵隊千城隊総督に任ぜられる。政変の中で福原越後が自刃し福原家は断絶となり鈴尾五郎と改名する。藩主から一字を与えられて親徳と名乗る。幕長戦で総指揮をとり、豊前で戦ってのち山口に戻る。職を辞めて洋学修業に転じ、長崎を経て慶応3年(1867)英国へ留学。明治元年(1868)福原姓に戻す。明治7年(1874)に帰国後司法省に入り判事。また、他村の手に渡っていた鉱区権を私財を投じて買い戻し村民に贈った。明治9年(1876)司法小丞。明治11年(1878)大坂裁判所判事。明治14年(1881)大審院詰めとなる。

墓は、谷中霊園 乙12号4側にあったが、2002年10月に改葬のため撤去。改葬先は宇部市宗隣寺。「瑞芳院感応道雄」。