福原信三(ふくはらしんぞう)    明治16年〜昭和23年11月4日(1883-1948)

    写真家・資生堂会長。父、資生堂創業者福原有信(三男)。東京出身。千葉薬学専門学校卒業後、明治42年(1909)渡米しコロンビア大学で薬学・化粧学と写真学を学ぶ。大正2年(1913)帰国。絵画の模倣を嫌い写真に対して芸術性を追求すべきと主張。大正10年(1921)太田黒元雄・掛札功・福原路草らと「写真技術」を創刊。大正13年(1924)「日本写真会」を創立し会長となる。資生堂関連の会長・社長・代表を務める。著書;「光と其階調」、「巴里とセーヌ」、「西湖風景」、「写真作品集」など。「讃光院映信諧調居士」。

福原信辰(ふくはらしんたつ)     明治25年〜昭和21年(1892-1946)

     写真家。資生堂副会長。父、福原有信(四男)。千葉県出身。文学研究のためフランスに留学。のち、兄信三を助け写真界に貢献。資生堂石鹸常務取締役など。「敬光院法篤正信居士」。

墓は、西光寺墓地(谷中6-2-20)。墓地入口より左前方、塀際。正面「福原」。墓誌は五輪塔。