古屋周斎(ふるやしゅうさい) 享和3年?〜明治12年1月11日(1803?-1879) ・・・1801説あるも墓碑の享年は77歳
江戸後期明治初期の漢学者・神職。名、保真。字、継志。通称、権之晋。父、古屋蜂城(ほうじょう)。甲斐東八代郡一宮村(山梨県)出身。幼少にして播磨に遊学。帰郷して一宮神官となり、丹宮と称す。明治5年(1872)国幣中社甲斐浅間神社の禰宜兼権少講義となる。傍ら、父の「蜂城塾」を継ぎ、子弟を集め、筆蹟および句読を教授し、生徒は3000人にも及んだという。学制発布後、家塾を廃し東京に移る。学制発布後家塾を廃し上京。説文(せつもん)を研究、「玉篇」および「文選字引」を訂正した。書は最も篆書を得意とした。77歳。著書:「画引説文」、「六書備覧」。
墓は、谷中霊園 甲8号14側。さくら通りから2基目。墓碑は小さく、ドウダンツツジの陰にある。正面「古屋周斎先生墓」。子の古屋花村(?-明治25年8月29日)墓もある、正面「花村古屋先生墓」。