双葉山定次(ふたばやまさだじ) 大正元年2月9日〜昭和43年12月16日(1912-1968)
第35代横綱。本名、穐吉定次(あきよしさだじ)。父、船舶運輸業穐吉義広(次男)。大分県宇佐郡天津村布津部(宇佐市下庄)出身。子供の頃の怪我で右目が半失明状態で、また右手小指も怪我で不自由だったにもかかわらず、本場所での通算69連勝・勝12回・全勝8回をマーク。昭和2年(1927)2月立浪部屋に入門。同3月双葉山の名で初土俵。昭和7年(1932)2月春秋園事件のため繰上げで新入幕。昭和12年(1937)11月横綱となる。その実績が評価され現役中から現役力士のまま弟子の育成を許され、昭和16年(1941)5月「双葉山相撲道場」を開設するという二枚鑑札同様の形が許された。昭和18年(1943)10月九州大宰府に「双葉山相撲練成道場」を開設。昭和20年(1945)引退。昭和21年(1946)11月年寄時津風を襲名、時津風部屋を興す。昭和22年(1947)10月相撲協会理事。昭和32年(1957)5月相撲協会理事長。昭和37年(1962)12月紫綬褒章を受章。
墓は、善性寺墓地(東日暮里5-41-14)。山門の脇。正面「穐吉家」。「霊山院殿法篤日定大居士」。