二神確斎(ふたかみかくさい)/二神種満(ふたかみたねみつ)     文化5年閏4月17日〜明治11年10月27日(1808-1878)

    藤原道隆(藤原氏北家隆家流)の後裔。名、種満。号、確斎。伊予国風早郷出身。伊予松山侯に仕える。明治5年(1872)東京桜田本郷(西新橋)に移る。71歳。

※ 武家家伝によると、二神氏は、瀬戸内海の二神島に拠った海の国人で、その祖は、延久年間(1069ころ)長門大掾に任ぜられて長門国に下向した藤原輔長といわれている。輔長は任期を終えたのちも京には帰らず、長門国豊田・大津両郡を開拓し、豊田郷の領主となり豊田氏を称した。南北朝期(1336-1392)になり、種世と種家の間で家督争いがあり、敗れた種家は伊予に流れて、二神島に土着して二神氏を名乗る。戦国時代になり、いくつもの合戦で武名を上げたが、天正13年(1585)豊臣秀吉の命を受けた小早川隆景が、河野氏追討のために伊予に侵攻、家臣二神通範(種家から7代目)も敗退。のち通範は朝鮮の役でも活躍した。子孫は本島二神氏、風早二神氏に分かれて存続した。 詳細については、「二神のホームページ」参照。

墓は、谷中霊園 乙10号9側。二神氏後裔の墓域内