蒲生聚亭(がもうけいてい/しゅうてい) 天保4年〜明治34年(1833-1901)
幕末明治期の漢学者・詩人。新潟出身。名、重章。字、子闇。号、聚豪・聚亭・白襄子など。幼くして両親に死なれ伯父に育てられる。19歳で江戸で儒学を学び、越後村松藩の儒官となる。執政と折り合いが悪く辞官。諸国漫遊後、江戸麹町に「晴天白日楼」学塾を開設。維新後、医学館に出仕。議政官史官、修史局、大学教授を歴任。著書:「聚亭詩鈔」、「聚亭文鈔」、「近世偉人伝」、「同義字集」、「夢見録」、「良寛詩集」、「下斗米将真伝」など。
墓は、天王寺墓地。正面「やすらぎ」。小山春山墓の隣り。墓誌なし。改装前は「聚亭蒲生重章之墓」であった。墓碑裏面にて確認可。