元光院(げんこういん)     創建:寛永中期(1624-1643)

場所:台東区上野公園16-24
アクセス:JR鴬谷駅南口から上野公園方向に進み、突き当りを左に、道なりに右へカーブ、右側。日本マンパワーの前。

    東叡山寛永寺元光院。天台宗。本尊:阿弥陀如来。寛永寺36坊のひとつ。神尾備前守元勝が建立。開基は、 権僧正長清である。長清は、15歳で慈眼大師の弟子となり、のち比叡山で修行するが、22歳のとき慈眼大師に召還され、備前守神尾元光公の支援で根本中堂の西(東京芸術大学の辺り)に元光院を創建した。寺名の所以でもある。移転時期は不明だが、台東区の資料によると、明治10年(1877)頃には、現在の京成電鉄とJRの交差する地点の崖の上に在ったとしている(明治29年版の古地図で確認済み)。明治30年(1897)ころ無住職であったが、ジャーナリスト陸羯南(くがかつなん)が借用し、日本新聞の倶楽部としていた。留守居に子規の門弟の寒川鼠骨(1875-1954)が勤めた、陸氏の勧めで八丁堀から移ったのだという。正岡子規らの会合の地として知られる。現存している「子規庵(根岸2-5-11)」とは、目と鼻の先である。大正3年(1914)区画整理などで現在地に移転。江戸時代に2子院の敷地に13子院が団地を作っている。境内に大猷院(3代将軍徳川家光)と最樹院(11代将軍徳川家済)奉献の石灯篭がある。