五明楼玉輔(ごめいろうたますけ)・4代 安政3年〜昭和10年5月24日(1856-1935)
落語家。本名、原新左衛門。初名、古今亭志ん好。前名、古今亭志ん多(新太)・古今亭今朝・3代目五明楼春輔。徳川直参旗本の家に生まれる。維新後は、商人になるつもりで色々とやるが長続きせず、明治8年(1875)2代目古今亭志ん生に入門し、志ん好と名乗る。明治9年(1876)西南戦争に従軍。3年の兵役を終えた後、志ん多と改名。この頃、「カッパの志ん多」と呼ばれ人気ものとなる。明治25年(1892)頃今朝と改名する。明治30年(1897)頃大阪へ移り、三友派などに出演。明治38年(1905)3代目五明楼春輔となり、明治39年(1906)11月4代目五明楼玉輔を襲名する。晩年は、「小言念仏」を十八番とし、柳屋金語楼一派に籍を置いた。門下に5代目古今亭志ん生。子に五明樓玉の助(ごめいろうたまのすけ:1905-197:本名、原正治)がいる。
墓は、善性寺墓地(東日暮里5-41-14)。山門から左に入り、塀に沿って通路を行くと左側にある。正面「五明楼玉輔之墓」。「清明院玉輔信士」。墓碑の建立は、柳屋金語楼。