後藤敬臣(ごとうたかおみ) 天保9年〜明治30年6月1日(1838-1897)
岐阜県参事・和歌山県書記。父、岩国藩士。維新後は、大蔵省・内務省・岐阜県参事・和歌山県書記官等を歴任。明治4年(1871)から明治12年(1879)にかけて遠藤達と共に「琉球処分提綱」を編集。明治16年(1883)12月内務省准奏任御用掛として沖縄に出張。明治19年(1886)刊行の沖縄に関する「南島記事」は上巻・中巻・下巻の三冊からなり、後藤敬臣がまとめたもので、天孫氏から第二尚氏王朝に及ぶ歴代の王の記事が述べられている。また、明治29年(1896)大日本私立衛生会取締。著書:「あやかき歌集」。正六位勲六等。
墓は、谷中霊園 乙10号21側。正面「正六位勲六等後藤敬臣之墓」。墓碑裏面に没年などの記載があるが、ブッシュが邪魔で写真が撮れない。