八朶園寥松(はちだえんりょうしょう)/巒蓼松(みねりょうしょう) 宝暦10年〜天保3年閏11月17日(1760-1832)
俳人。本名、巒。号、八朶園・米隣翁・氷黒井・大年廬・草露・東隣居。江戸出身。江戸両国薬研堀に住み、俳諧を大島寥太(1718-1787)に学ぶ。浅草の美人芸妓ひともとを身受けし話題となった。また、検校の株をもち生活は豊かだったという。門人に、鈴木松什(すずきしょうじゅう:1798-?)・井上得蕪(?-1858)ら。著編:「露陀羅尼」、「安岐の山道」、「八朶園句纂(はちだえんくさん)」。作品例:「ちんまりと山里なりぬ冬隣」、「あらぬものみゆらん何をみねの雲」。73歳。
墓は、常在寺墓地(谷中5-2-25)。山門を入り本堂前の左の大きな木の裏手。本堂前の通路より1本左りを行き、左側。正面「天保三壬辰年/蓼松日鶯居士/閏十一月十七日/・・・」。鈴木松什の墓は、葛飾区光増寺。