萩野末吉(はぎのすえきち) 万延元年9月1日〜昭和15年2月13日(1860-1940)
陸軍中将。情報将校の元祖。父、岡山藩士萩野閑吾(二男)。明治12年(1879)陸軍士官学校入校。明治14年(1881)12月陸軍士官学校(旧4期)卒業。明治18年(1885-1888)ウラジオストク駐在武官としてシベリア・モンゴルを偵察。明治37年(1904)2月日露戦争に第1軍参謀として従軍。翌年6月大佐、歩兵第12連隊長。以後、明治41年(1908)ロシア大使館附武官。明治43年(1910)陸軍少将・歩兵第29旅団長。明治45年(1912)台湾第2守備隊司令官。大正3年(1914)3月陸軍中将となり予備役に編入。大正8年(1919-1922)1月シベリア出兵で召集、浦塩派遣軍司令部付となった。正五位勲二等功三級。情報将校の元祖として知られる。81歳。娘は陸軍少将川口清健に嫁す。
墓は、谷中霊園 乙2号5側。同じような墓碑が4基並ぶ、最左端。正面「陸軍中将萩野末吉/室 通子 墓」。