大鳴門灘右衛門(おおなるとなだえもん)/八角灘右衛門(はっかくなだえもん)・2代 嘉永6年5月〜明治41年1月15日(1853-1908)
関取。本名、大空芳蔵。兵庫淡路出身。はじめ大坂小野川門の相撲から初まり、司天竜と称す。明治12年(1879)に東京に移り、同年1月初土俵。徳島藩主蜂須賀侯抱えとなる。明治15年(1882)大鳴門灘右衛門を名乗り、明治23年(1890)大関に上った。引退後は年寄八角を襲名、八角灘右衛門と名乗った。東京相撲協会検査員となり、子弟の養成に努める。計算が得意で、米相場で数万円を儲けたという。幕内通算 22場所 91勝35敗25分5預64休。56歳。
※ 故人歴情報は、森光俊様のご提供を基にしている。
墓は、延命院墓地(西日暮里3-10-1)。墓地に入り、右側に万年塀が現れた辺りの左側。正面「八角灘右衛門墓」。墓誌はなく、裏側に「大空由蔵/明治四拾壱年四月建立」とある。隣りに「大空家累代墓」があるが、墓誌にない。