花柳寿輔(はなやぎじゅすけ)・初代 文政4年2月19日〜明治36年1月28日(1821-1903)
花柳流舞踊創始者。本名、西川芳次郎。俳名、市川鯉吉・寿助・晩年は寿輔。東京芝神明出身。徳川直参旗本の家柄で明治になって玩具商を営む。父、玩具商三国屋の長男。吉原の台屋魚吉の養子。6歳で四世西川扇蔵に師事。扇蔵未亡人に破門され花柳を名乗る。8歳で市川団十郎の門人となり、歌舞伎舞踊の振付師として才能を表す。その後、俳優を断念し振付師を志し西川芳次郎となる。市村座立振付師となるが、師の没後に未亡人により破門。嘉永2年(1849)花柳芳次郎となって花柳流を創始。嘉永3年(1850)に花柳寿助と改名し、万延元年(1860)に花柳寿輔とさらに改名した。家庭の子女の舞踏から浸透し、現在では最大流派となった。他に、坂東流、藤間流、西川流、若柳流などがある。2代花柳寿輔(1893-1970)は、初代の子。尾上菊五郎の振り付けをした。代表作は、「どんつく」、「土蜘蛛」、「戻橋」、「連獅子」、「羽衣」など。83歳。
墓は、谷中霊園甲3号7側。駐在所前交差点斜向かい、桜通りに面する。正面「花柳家之墓」。墓誌なし。「華柳庵釈南山居士」。