原 舟月(はらしゅうげつ)・初代 ?〜寛政2年9月9日(?-1790)
人形師。通称、金五郎。大坂堺出身。江戸日本橋十軒店(中央区)に店を開く。内裏雛を改良し、江戸雛と呼ばれる古今雛を創造。鴻巣雛や越谷雛と趣きが異なり人気が出たことから、同業者に嫉まれ当時の制限の8寸を越える大きさの雛を作ったと幕府に訴えられ、江戸追放となる。京都で没する。「妙法舟月真海居士」。
原 舟月(はらしゅうげつ)・2代 ?〜天保15年8月27日(?-1844)
人形師。通称、金太郎。江戸出身。身体が弱く、11歳の3代目候補の徳太郎に彫刻の秘訣を教え込む。晩年は中風を病み、十軒店の店も閉める。「妙法晴雲輝月信士」。
原 舟月(はらしゅうげつ)・3代 文政9年〜明治32年(1826-1899)
人形師。号、法橋。人形師「原舟月」三代の記 /絵守すみよし/著 によれば、「第3章 三代目、原舟月(お嬢っ子三代目誕生 ほか)」とあるので、3代目は、女性のようである。作品例:飯能市の祭りの山車の「神武天皇」・川越鍛冶町の山車・八王子まつりの屋台人形・「とちぎ秋まつり」の山車人形・鶴岡市の旧家三井家の雛人形(平成元年、鶴岡市有形文化財に指定)など。
墓は、妙雲寺墓地(谷中6-2-39)。本堂左側から墓地に入り右へ、隣りの多宝院との境の塀の前。正面「原舟月先祖代々之墓」(ただし、代から下の文字が彫られていない)。台石「舟月墓」。墓石は、廃物再利用のものと思われ、正面以外は、無関係の人の内容となっている。また、台石は、裏を見ると逆さま。当時の台所事情を垣間見ることができる。3代目の記録が墓碑にないので、合祀されているかどうかは不明。実績から推測して極端な貧乏をしたとは考えられないのと、女性であれば姓が変わり当該墓碑には合祀されていないことも十分考えられる。