長谷川尚一(はせがわしょういち) 明治元年〜昭和21年3月4日(1868-1946)
国産石油開発を推進した人。和歌山県有田郡出身。父、中西。新潟県東蒲原郡の長谷川家の養子となる。明治35年(1902)新潟県新津で石油事業を開始。この頃世界では石油争覇戦をしていたが、国内では石油の重要さを知らず、この啓蒙に尽力する。次第に近代産業が勃興し石油の需要が高まり、その大半を供給した。晩年を千葉県東葛飾郡に隠居して過ごした。79歳。
墓は、全生庵(谷中5-4-7)。山岡鉄舟墓の通路より1本北(奥)の通路、5基目。正面「長谷川家之墓」。「国清院油田玄策大居士」。碑は本堂脇の通路沿い。昭和19年建立。