早川二郎(はやかわじろう) 明治39年1月26日〜昭和12年11月8日(1906-1937)
歴史研究家・翻訳家。本名、小出民声。東京出身。昭和4年(1929)東京外国語学校ロシア語部文科卒業。学生時代から翻訳・出版に携わる。プロレタリア科学研究所・唯物論研究会などに所属。ソビエトに関する史学などの翻訳などを行う。昭和8年(1933)アジア的生産様式論争に参画。また、大化改新以後の日本の歴史についても自説を主張。奴隷制について渡部義通らと論争。歴史的は啓蒙活動も行う。奥秩父登山で遭難し没する。著書:「日本歴史読本」など。
墓は、谷中霊園 甲5号2側。管理事務所側。正面「加藤家之墓」。