ヘルン ヘルマン リットル     文政10年〜明治7年12月25日(1827-1874)

    理学博士・開成学校鉱山学講師。ドイツ ハンニーウエル ヒルデスハイム出身。ゲツチンケンにて修学。合衆国の招きで米国セントルイス府化学工場長。モスクワへ派遣された後、金沢藩知事前田氏の招聘で日本へ来る。折りしも廃藩置県時にあい、転じて明治3年(1870)12月乞われて大阪府理学校教師となり、理化学と英仏語を教える。明治6年(1873)3月東京開成校鉱山学講師。病となり官独逸の名医ホフマン氏に治療を依頼するも没する。47歳。

碑は、谷中霊園 甲2号1側。さくら通りに面する。墓は、ドイツにあるものと推測される。