樋口定伊(ひぐちさだこれ) 文化4年〜慶応3年4月14日(1807-1867)
剣術・馬庭念流18代当主。父、17代当主樋口十郎右衛門定輝(長男)。通称、和蔵・十郎兵衛・十郎右衛門。上野国多胡郡馬庭郷出身。17歳で父を亡くした後、伯父樋口十郎兵衛定雄に師事。嘉永2年神田明神下に道場を作り、後下谷和泉橋通りにも道場を構え、門人は1万人を数えた。水戸藩徳川斉昭に見込まれ水戸藩の剣術の教授をするようになった。また、天留の術を創案した。61歳。東京都指定史跡。
墓は、妙極院(池之端2-5-30)。山門より右側墓地入口を通り、広い通路を行き、奥の左に行く広い通路を左に入り、2基目。白い釈迦座像の近く。正面「樋口定伊先生墓」。「識善院定伊了儀居士」。